新たな宣教への挑戦
(2002年度受聖餐者代議員総会説教抜粋)

司祭 アンデレ中村 豊

 昨年は教会創立120年の節目の年ということで、10月7日の記念聖餐式を頂点にして教会に属する様々なグループが、創立記念にふさわしい研修を兼ねた親睦旅行や食事を兼ねた研修などを実施しました。10月6日土曜日は前夜祭としてチャリティーコンサートを行い、教会関係者だけではなく教会外の人たちも多数参加して食事や歌、演芸にと楽しい一時を持ちました。前夜祭の企画運営は、ミカエル教会の将来を担う、一回り、二回り若い世代の信徒の手によってなされました。
 
 礼拝奉仕の重要性
 昨年始めに考えましたことは、宣教の次の一歩を踏み出せるような締めくくりの1年でありたいということでした。そのような年として総括できたのでしょうか。
 教会の様々な奉仕活動は、特に主日聖餐式の奉仕と他教会、対社会、隣人への奉仕に集約できると思います。礼拝に関して言えば、この奉仕に関わる信徒はおおよそ年間約200名、1主日の礼拝を例にとりますと、土曜日の教会掃除、お花活けから始まり、アッシャー、オルターギルドの手による後片づけまで、聖職を含めて約30名の人たちが奉仕に携わっています。特筆すべきことは、昨年2月より当教会でも13名の婦人によってオルターグルドが結成され、奉仕が開始されたということです。
 神戸教区教会の中で、ミカエル教会は伝統的に礼拝の形式を重んじる役目を担っております。ミカエル教会が英国聖公会ハイチャーチの伝統を持つSPGミッションによって始められた教会であると共に、神戸教区のSPGの流れを汲む教会の模範となるということを意味しております。従って礼拝奉仕に関わる団体の個々人の姿勢は、聖職の場合、説教の内容とか朗読のレベルは、それは今の神戸教区の現状を表しているといえますし、改善の余地がまだまだあるということです。
 礼拝への奉仕はすべての奉仕の原点といえます。なぜならば、これは何よりもまず神に対してなされるものであり、奉仕する者一人ひとりが神に対してどのような姿勢をもっているかを問われてくるからです。たとえそれが隠れた奉仕であっても神にたいする感謝と賛美の姿勢を神さまが最も喜ばれるのです。そして、このような姿勢が隣人に対する奉仕にも向けられなければなら ないのです。

 社会に対する教会の責任
 聖公会の歴史を紐解いてみても、社会や国家、政治の悪に対して教会が腰を上げるのまでには大変な時間を要しております。ケアリー・カンタベリー大主教は昨年6月15日、ロンドンにおけるUSPG創立300年記念聖餐式説教の中で次のように話されました。「ヨーロッパ以外の国の植民地化により、奴隷の使用と土地拡充がもたらされました。新天地アメリカの開拓者はキリスト教信仰をないがしろにし、現地人の人間性を無視し酷使しているという衝撃的な報告が本部に届きました。派遣された宣教師の多くは、奴隷制をこのまま認めることは大変な悪をもたらすことに気づきました。そこでキリスト教信仰を隣人に伝える手段として、現地の人たちへの教育活動と社会変革がUSPGの主な仕事の一つとなったのでした。キリスト教宣教が最も力強く示されたその象徴が1873年実現されたと私は理解しています。英国聖公会関係大学中央アフリカ宣教団はこの年ザンビアの君主を説得し奴隷貿易を中止させたのでした。新しい大聖堂の礎石はかっては奴隷市場であったところに置かれました。人々を恐怖のどん底に陥れ、人間性を剥奪する場として存在した奴隷市場が神への祈りの場と変えられたのでした。」
 17世紀半ばから始まった奴隷貿易では、アフリカからの奴隷を英国リバプールに輸送し、そこからアメリカ大陸に運んでいました。リバプールという港町は、かっては奴隷貿易で栄えたところであり英国もその恩恵を被って繁栄していたのです。問題は、奴隷が非人間的な扱いを受けている現実に対して英国聖公会はほとんど無関心であったということです。ところが、アメリカ大陸で人間以下の取り扱いを受けていることを英国から派遣された宣教師たちは目の当たりにし、この現状に目をつぶることができなかった少数の、良心的な宣教師は本部や母国の教会に訴えたのです。しかし、それが解決されるためには約200年の月日が求められました。他国やそこに住む人たちの犠牲の上に自国の繁栄があるというのは、昔も今も変わりがない事実でありますし、それによって弱い立場におかれている人たちに救いの手を差し伸べる責任を今の教会ももっているのです。

求められる精神の継続性
 終戦直後から30年間日本に滞在されたカトリック教会のピタウ大司教は今ローマに居られますが、そのローマから、21世紀の教会の姿勢として次のようなことを言われました。
「私が学長をしていたグレゴリア大学では、今も建物の基礎に2000年前の壁を使っています。数世紀にわたって、教会が違う時代の建物を継ぎ足して使うのはごく普通のことで、旧いものを破壊せず、いいものを取り入れて新しくする。それが文化の継続性であり、それを保証するのは、精神の継続性です」
 120年の間ミカエル教会で培われた信仰の遺産を大切にし、それを踏み台として、新しい宣教の業に挑戦する姿勢こそ、今のミカエル教会に最も求められていることなのです。


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