聖霊が降る

司祭パウロ上原信幸

 神戸教区の中高生大会は今夏で、40回を迎えます。
青年大会から分かれてから40年が経つわけですが、青年大会がなくなっても、中高生大会はなんとか続き、かつての中高生の子どもたちがまた集っています。
神戸教区は、近畿、中国、四国と、複数の地方にまたがっていますので、引率した聖職からしばしばこんな話を聞きます。
 大会からの帰り道で・・・・
「楽しかったね」「来年も行こうよ」「フリートーク盛り上がった?」「あんなに真剣に話したの初めて!」「ところで、○○教会の人達の話、時々わからないことあったよね」「そうそう聞き取りにくかったよねぇ〜」「だって、あの子たち方言しゃべっているんだもの・・」というようなことを、これまたそれぞれ方言まるだしでしゃべっていたとのこと。
そばで聞いていた司祭は、「この子たちは『自分は標準語をしゃべっている』と思っているのかなぁ」と、思わずつぶやいたそうです。

    ちがい
同じ日本語といっても、わずかな距離の隔たりで、言葉は結構異なるものです。
単にアクセントがちがうだけではなく、単語すら大きくちがう場合があります。
私は10歳の時、垂水から加古川に引っ越すという経験をしました。直線で20キロほどで、昔の区分でも播磨の国の東側に位置し、同じ文化圏のはずですが、随分言葉はちがいました。
転校生は、言葉使いで笑われた経験、つまり、異質な人間として距離を感じさせられた経験を、多かれ少なかれ持っているようです。
 約30年前のことですが、今とかわらず、テレビ放送などで、いわゆる標準語を毎日耳にし、鉄道や飛行機を使って簡単に旅行もでき、電話を使って、遠くはなれた人とも、簡単に会話を交わすことができました。それでも地域によって、地域差がありましたから、2000年前の聖地では、同じユダヤ人同士でも、言葉の違いはもっと大きかったでしょう。

   ちがう者同士が
聖霊降臨日の出来事では、旅人たちは、「どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉で、ガリラヤの人が、神の偉大な業を語っているのを聞くのだろう」と驚きました。
旅人たちは自分の出身地である国名をパルティア、メディア、エラム・・と次々あげていきます。
 今の日本でも、生まれ故郷の言葉というためには、10や20の言葉では足りないはずです。
一体何人の弟子たちが、語っているのか、それとも一人が何カ国語も使って語ったのか、と考えてみますが、現場にいなかった者にはわかりません。
しかし、聖霊降臨日におこった出来事で、少なくともいえることは、生まれ故郷も、育った環境も違った人々が、語られる言葉に耳を傾け、まるで幼なじみであるかのように、共感し、心を通わせることができたということだと思います。
同じ言葉を話す者同士であっても、お互い心の中では何を考えているか判らず、理解しあえずに、別れ争っていることはよくあります。
バベルの塔の物語では、人間はその不遜さによって、同じ言葉による意志の疎通ができなくなり、世界に散らされました。
人間の力によっては克服できなかったことが、聖霊が降ることにより、育った環境や、国や民族を超えて、「異質な者」ではなく、仲間・兄弟として、この世に生きる者であることを知らされました。
 国や民族を超えた一体性と相互理解、これが、神様から与えられた、教会のスタートラインであり、そして、分裂に陥らないように、謙虚さをもって、この世に伝えていくメッセージであると思います。


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