急死に一生を得て
               −証し

アンデレ 田中康之
私はクリスチャンの家庭に育ちました。クリスチャンの家庭と言いましても、キリスト教と浄土真宗とが入り交じった家庭です。二つの異なった信仰を持つ事に対して何も違和感はありませんでしたし、場合によりそれら二つの信仰を自分の都合良く使い分けていた様に思います。自分でもいつ、どこで、どの様にして洗礼を受けたかは憶えてはいません。幼児洗礼を受け「アンデレ」という洗礼名を頂いていながら、教会に行きたいと思う事無く、たまに教会へ行く両親に仕方なくついていった様に憶えています。

私の夢

 私はパイロットになること
を夢見ていましたが、日本では多額の費用がかかるという問題と、その頃の私は諸外国(特にアメリカ)に対して興味がありました。それらの思いより、高校卒業後心の中に抱いている色々な夢と共にアメリカのワシントン州・シアトルヘ留学をしました。先ずは短期大学へ入学して少しでも早く卒業する為に頑張っていました。卒業後の予定としてパイロット学校及び4年制大学への編入を考えていました。しかし、それらの考えと私の生き方が一九九〇年8月に神様との巡り会いにより変わりました。

心臓停止!

 私は友人たちと共に夏休みを利用してメキシコまで車で旅行をするはずでした。色々と楽しむ予定でしたが、出発した翌朝にオレゴン州のポートランドにおいて交通事故を引き起こしてしまいました。私たちの車がカーブをスピードの出しすぎで曲がろうとしたため、中央車線を越えてしまい対向車と正面衝突を起こしたのです。朝早い事故で前日の深夜、運転していた私は後部座席で寝ており、衝突した際の衝撃を避けることが出来ずに全身を車内で強打してしまいました。
 その時の衝撃で、心臓と大動脈の接合部の破裂及び数箇所の骨折と、今ここに生きているのが不思議な程の重傷を負いました。病院へはヘリコプター輸送され、最新の医療処置が施されました。輸送中に心臓は停止したものの、電気ショックやマッサージ等の応急処置で活かされたことを担当主治医より聞かされました。

普通は即死

 誰一人として知人のいない初めて訪れた所においての事故でしたが、両親は直ちに渡米してくれました。又、友人の連絡でポートランドにある日本バプテスト教会の横井牧師をはじめ大勢の人たちが毎日私の病室に見舞いに来てくれました。事故の時、オレゴン州を訪問されていた羽鳥明先生までもが私の為に祈り、両親を励まして下さいました。その後日本に一時帰国し、アメリカで療養の紹介をしてもらった京都大学医学部付属病院の先生に診察して頂いたのですが、カルテの内容を見て私が生きていることに驚かれたので、いかに生存する事が困難であったかを認識しました。
 医学の知識を十分に持たれた先生がひと言、「普通は即死だ」と言われたのを憶えています。それもそのはず、通常体内に流れている血液約4リットルの2倍、8リットルもの輸血を要する程の事故でした。3分の1体内の血を失えば生死をさまようといわれている現代医学の常識に照らせば、考えられないことだそうです。ましてや病院の前ではなく遠く離れたところで起こった事故です。本来は生還出来ることはまず考えられないそうです。その様な状態であった私を死から救って下さり、勇気付けて下さった全ての方々に感謝が絶えません。

婚約者の祈り

 助かった私とは反対に、対向車を運転されていた六十歳になられるアメリカ人の御婦人は残念ながら亡くなってしまわれました。高齢の御婦人ではありますが、数週間後に晴れて結婚される予定でした。彼女が集中治療室に入っておられた間、婚約者の方が毎日見舞いに来られていたと聞きました。
 事故の際に助手席に座っていた友人は、同乗していたことに対して責任を感じ、殴られるのを覚悟して婚約者に謝罪をしたそうです。しかし婚約者は殴りかかって来たのではなく、「赦しの言葉と祈り」を彼に与えました。その時点では、御婦人は植物人間か死んでしまうことが分かっていたそうです。なのに婚約者は、不慮の事故とはいえ幸せを奪った私たちを赦してくれたうえに、集中治療室で生死をさまよっていた私が助かる様に祈って下さいました。もし私が婚約者の立場ならその様に行動出来ないと思うのと同時に、相手側のことを憎むことはできても祈ることなど決して考えられません。

見ないで信じる者
 
 私は未だ見たことのないイエス・キリストをその婚約者の中に見た様に思います。神様に感謝します。聖書に書かれてある通り、イエス・キリストだけが私たちを救う為にこの世に来られ、苦しみを受け、死により私たちを滅びより救い出して下さいました。人となった真の神の死により、救い出されていたにもかかわらず神を慕うことなく、ただ自分の力、考えを信じて思う通りに生きていた愚かな私を、再び肉体と魂の滅びより救い出して下さいました。神様は私を救い出す為に交通事故で御婦人を天に召された上に、神の愛の力で私を生き返らせて下さいました。
 十二弟子の一人、トマスが神を見て信じたのと同じ様に、今まで私は口ではクリスチャンと言いながら本心より神様を信じ、全てを委ねることが出来ていなかったと恥じ入ります。トマスはイエス様が十字架で殺された後の甦りを目撃した人に対して、「十字架にかかられた釘の跡をこの目で確かめ、自分の指をその釘跡に差し入れなければ絶対信じない。」と言いました。私もイエス様と接する機会が与えられていながらも、まるでトマスと同じく愚かな者でした。イエス様の言葉に「あなたは私を見たので信じたのですか。見ないで信じる者は幸いである。」と言われた様に、これからは神様により与えられている全ての導きを感謝し、信じて生きています。交通事故に遇いながら生きることが出来たのは決して運が良かったのではなく、全てが神様の導きによるものと信じています。
 「運」とは偶然に幸せを拾うことをいいます。私が経験したことや私たちに降りかかることは決して偶然に拾うことができたものではなく、神様の計画の故に私たちに与えられたものです。

光となる

 私は幼児洗礼を受けた際にアンデレという洗礼名を頂きました。アンデレは十二弟子の一人でありますが特に有名ではありません。しかし弟子たちのリーダー的存在のペテロは弟のアンデレによりイエス・キリストのもとに導かれ、その後神様の伝道師となりました。私たちは既に神様を知って信じ、そして本当の愛を手に入れることが出来ました。愛のない者に神様は分かりません。なぜなら神様は愛だからです。神様を知ることができた私たちであるからこそ、私たちが先導してこの世に光を与えなければいけないと思います。
 マタイによる福音書5章一四節に「あなたがたは世の光である。」と記されている通り、神を知り得た私たちが光にならなければいけません。たとえそれが小さな光であっても全世界の一人ひとりが光になれば、この世は実に明るくなると確信しています。その為にも真の世の光である主イエス・キリストの言葉と導きにより永遠に生きて行くことを誓います。(一九九一年・平成3年8月一六日記す)


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