大斎節を目前に

司祭 パウロ上原信幸

世界遺産の中にはキリスト教に関係するものがたくさんあります。
ギリシャ北部のテサロニケにある「初期キリスト教やビザンチン様式の建造物群」というものも、その一つです。
この町は、紀元前4世紀ころから、アテネに次ぐギリシャ第2の都市として長い間栄えました。
ローマがこの地域を支配した時は、マケドニア地方の都となり、その後のビザンチン時代も、コンスタンチノープルと並ぶ港湾都市として重要な役割を果たしたそうです。
現在でも、国際会議等が開かれる、モダンな国際都市として紹介されています。

豊かさの中で
ローマ時代のこの町は、繁栄する都会にありがちな状況、つまり歓楽の町で、不道徳がはびこるところであったとも記録されています。
テサロニケで暮らす人々は、ローマの平和と呼ばれる状況を謳歌し、
治安も良く、別に仕事をしなくても、娯楽と食べ物には不自由しないという環境の中で生活していました。
最近ニートという言葉をよく耳にします。「職に就かず、学校などに所属もしておらず、そして就労に向けた具体的な動きをしていない者(Not in Employment, Education or Trainingの略)」を指す言葉で、現在、日本でNEETに分類される若者の数は約70万人に達するということですが、これは現代特有のことではなく、テサロニケでも同様でした。
先ほど「ローマの平和」と書きましたが、この時代は社会的な問題がなかったかというと、実際には64年のローマの大火、66年に始まるユダヤの反乱、79年ポンペイが灰に埋もれたベスビオス火山の大噴火など、天災・人災、地域紛争の続く時期でもありました。
 
都会の信仰生活
聖パウロは宣教旅行の中で、交通の要所であるテサロニケに立ち寄り、教会が造られました。世界遺産となった建物群は、その町のクリスチャン達が綿々と培った信仰の証ともいうべきものでしょう。
聖パウロは、その町で信仰生活を送る人々に手紙を書いています。それが聖書にある「テサロニケの信徒への手紙」です。
都会の生活の中からおこる様々な誘惑について、聖パウロは非常に危機感を持っていました。
この二つの手紙を読むと、そこで暮らす様々な人物像が浮かびます。
働かない者の他、様々な不安や不満がつのり落ち込む者、不倫や売春、詐欺をおこなう者、暴力に暴力で立ち向かおうとする者などなど。
この時代のクリスチャンたちの環境と、私たちを取り巻く環境はよく似ているように思います。
聖パウロはそのような状況下にある人達に送った手紙をこのように結んでいます。
「怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。―ーいつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
まもなく、大斎節に入ろうとしています。イエス様は40日の間荒野で様々な誘惑に打ち克たれました。
私たちは豊かな都会の中で同様の試練にあいますが、イエス様にならう者として、自分の為だけでなく、神様と人々の為に生きるものと変えられるためには、聖パウロの勧める、どのような日常の中にも、不満ではなく喜びを、また感謝すべきことを見いだそうと努めること、これこそが最良の方法のように思います。


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