天に積む富

司祭 ヨハネ 芳我秀一

 旧約聖書のコヘレトの言葉 という書物の中に『空の空。全ては空。』という言葉が出てきます。この意味は、永続するものとは対照的に、現実の世界は無常であり、全ては夢、幻にすぎないということを表現しています。
 確かに人はこの世に生を受けて後、一生懸命努力して地位、名誉、財産を獲得できる可能性を秘めています。一般には、このような人を人生の勝利者と呼ぶのかもしれません。しかし、本当にそうなのでしょうか。なぜなら人は誰しもが必ず何も持たずにこの世を去っていきますし、また全てのいくからです。ですから人生とは無常で、むな空しいと感じるのです。
 このような無常な世界の中で、果たして私たちは朽ちることのない真の富を得ることが出来るのでしょうか。

〈愚かな金持ち〉
 ところで、ルカによる福音書第12章16節以下で、イエス様はある金持ちのたとえを話されました。金持ちの畑が豊作で、彼は作物をしまっておく場所がなく、熟慮の末、現在の倉を壊して、もっと大きいのを建てることにしました。そこに穀物や財産をみなしまって、自分に対して次のように言うのです。「さあ、これから先何年も生きていくだけの蓄えが出来たぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。それに対して神様は次のように言われたのです。
『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意したものは、一体誰のものになるのか。自分のために富を積む者ではなく、神の前に豊かな富を積め。』と。
-ルカによる福音書第12章20,21節-
 なぜ神様はこの金持ちを「愚か者よ」と厳しく批判されたのでしょうか。確かに金持ちはたくさんの財産を持っていますが、それは盗んだり、何か不正を働いて得た財産ではありません。また不当に労働者を扱った犯罪行為でもありません。ただ太陽と土と雨とが一体となって彼を豊かにしてくれたのです。
 では金持ちの何が問題なのでしょうか。それは、金持ちが自分のためだけに生き、全く自分のことしか考えていません。また他の誰からの助けも必要としていません。金持ちは、本来、空しく無常な人間であるにもかかわらず、自分があたかも自分一人の力で永続的に生きていけるかのように考えています。だから神様は「愚かな者よ」と言って厳しく叱責されたのです。そして、その愚かさを突然の死が明らかにしてくれるのです。

 〈分かち合い〉
『自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、つきることのない富を天に積みなさい。』
−ルカによる福音書第12章33節−
 7年前、私が高知の教会に在任中ですが、高知市は未曾有の大雨で市内の半分が水没するという大災害に見舞われました。電気、水道、ガスといったライフラインがストップして、人々は将に現代社会は砂上の楼閣であり、また自分一人では生きていけないことに気づかされました。そして、多くのものが失われ、お先真っ暗な状況の中で、人々は持っているわずかの食料を分け合って助け合いました。このように分かち合うことによって、人々は自分が愛され支えられていることを実感します。この愛こそ天に積む富ではないでしょうか。
 現在、地球上には60億以上の人々が生きています。その内の約10億人はいまだに飢え乾いて死の危険にさらされていると言われています。ある人が尋ねました。「いつこの世界から飢えはなくなるのですか?」。それに対して「それはわたしたちが分かち合いを始めた時です。」との答えが返ってきました。私たちはもっともっと理解し分かち合わなくてはならないと思います。


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