教会の奉仕

司祭 ヨハネ 芳我秀一

 サッカーの第18回ワールドカップがドイツで開催されていますが、この大会はサッカーの世界一を決めるもので、四年ごとに行われています。前回は韓国と日本を会場に行われ、ブラジルチームが優勝しました。また韓国チームと日本チームが良い成績を残して世界を熱狂させたことは記憶に新しいところです。
 今回も日本チームに対する期待は大きいのですが、残念ながら初戦のオーストラリアに敗れてしまいました。期待が大きいだけに落胆も大きく、敗戦の原因の一つにかつてブラジルチームの名選手で現在の日本チームの監督ジーコさんの采配ミスが指摘されています。新聞の記事によると、日本サッカー協会の責任者の川淵チェアマンが現地を訪問、選手たちを激励したそうです。その時、ジーコ監督は川淵チェアマンに「すみません」と謝りました。彼は責任の重さをよく知って自らの誤りを認めたのです。それに対して川淵チェアマンは「いいんだよ」と答えたそうです。ジーコ監督にしてみれば叱責されてもしかたのない立場にあるのですが、チェアマンは彼を責めることはなく「いいんだよ」と云ってくれたのです。おそらく精一杯努力した結果、それでも結果を残せなかった自分に対して、それで「いいんだよ」と云ってもらった時、彼はどのような気持ちであったのでしょうか。私がジーコ監督の立場ならこれ程嬉しいことはありません。次の試合では頑張らねば、という気持ちになりますね。

〈神の愛と喜び〉

 イエス様の弟子たちも同様でした。イエス様がユダヤ人たちに捕縛され、裁判にかけられるに及んで弟子たちは身の危険を感じイエス様を見捨てて逃げてしまいました。ですから、弟子たちは、この時、従い続けることの出来ない自分、愛し切ることの出来ない自分に気づかされます。そしてペテロなどは「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエス様の言葉を思い出し、裁判の行われていた庭の外に出て激しく泣いたのです。そしてイエス様の残酷な十字架上のお姿を見てますます「すみません」という悔いる気持ちで一杯だったことでしょう。そんな心砕かれた弟子たちにやがて死んで復活されたキリストが現れて「あなたがたに平和があるように」と言われたのです。裏切り見捨てた私をキリストは赦して下さり愛し続けていて下さることをい知り弟子たちは大きな喜びをあたえられたのです。

〈奉仕する教会〉

 最後の晩餐の時、イエス様は弟子たちの足を洗い、教会のもつ奉仕の模範を示されました。
「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
(ヨハネ伝第13章14節)
 相手の足を洗うということは、重荷を負って苦しんでいる人の重荷をすこしでも軽くしたり、疲れを癒してあげたいという愛と奉仕の業です。私たち人間は決して一人で生きることは出来ません。お互いに助け合い、支え合って生きる者です。ですから義務として嫌々する奉仕であってはなりません。教会の奉仕はキリストによって示された変わらない愛と喜びに突き動かされて行う奉仕です。教会は地域社会に奉仕することによって神の愛を証することが求められています。ですからキリストに繋がる私たちの人生は自分だけのものではなく、他者との繋がりの中でより充実して生かされたいものです。


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