教会創立の意義

司祭 ヨハネ 芳我秀一

 神戸が開港して、来年の1月1日で140年になる。そして開港後、多くの宣教師たちが神戸に上陸して来た。当教会の『百年史物語』18頁の土居晴夫兄(当教会信徒)の記事に依れば、開港した同じ年1868年の11月に香港の主教オルフォードが神戸に来て神戸在住の外国人の礼拝を司式、これが神戸最初のプロテスタントの礼拝であり、また聖公会としても神戸最初の礼拝であったにちがいない、と記されている。その後、1872年には、米国組合教会の宣教師が中心となり、プロテスタント各派が合同して現在の大丸の近くにユニオン教会と呼ばれる神戸最初のプロテスタント教会を建立。そこで聖公会の礼拝も大阪から司祭が来られて定期的に守られていた。

 〈聖ミカエルの由来〉
  1876年9月21日には英国から宣教師としてH.J.フォス司祭とF.J.プランマー司祭が来神。神戸に定住、伝道活動が開始された。 八代斌助主教によれば、フォス司祭は1877年6月に下山手通3丁目にあった倉庫を改装して聖バルナバ教会と命名、英国聖公会が神戸に最初に建立した教会だった。このバルナバはフォス司祭が最初に牧師をした英国チェスターにある教会の名前に由来している。さらにフォス司祭は1881年12月に鯉川筋にあった敷地に新しい教会を建立。聖ミカエル教会と呼ばれ、その名前は、彼が二番目に勤務したリバプールにある教会の名前をとって命名されたものである。その後、聖ミカエル教会は1891年に隣家の失火によって類焼したが、1893年に中山手通六丁目(現聖ミカエル保育園)に敷地を購入、9月29日に定礎式を行って、翌年4月に完成。そして1945年6月5日の空襲によって消失するまでその使命を果たしたのである。そして1958年に現在地に再び聖ミカエル大聖堂が建立され今日に至っている。(聖ミカエル国際学校同窓会機関誌“THE BREEZE”NO37 23頁参照)

 〈今の時〉
 福音記者ルカは次のように記す『偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。』(ルカ伝12章56節)と。この「今の時」とは、「今、何時ですか」といった時刻を意味するのではなく、永遠なる神がこの世界に介入されて神と人との交わりの特別な時を指す。人間の普段の営みの背後で、既に神は御子をこの世界に派遣され、十字架の死と復活を通して裏切った弟子たちを赦し、変わることのない愛を明らかにされた。そして現在も神はキリストを通して私たちに語りかけ永遠の命へと導くために忍耐しながら働きを続けておられる。ところが人間はこの出来事に気づかない。だから人々にこの救いの出来事を目に見える形で指し示すものが求められている。

 〈証する教会〉
 教会創立とは、建てられた地域社会に神の救いの働きを証することである。教会の十字架を見て心躍る人もいれば、嫌悪感を抱く人、また全く何も感じない人もいる。しかし教会は今日も明日もたゆまず証し続けるのである。


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