地の続く限り、種蒔きも刈入れもやむことはない

司祭 パウロ 上原信幸

 先日、造船のお仕事をされていたという乾氏が、教会を訪ねてくださいました。
 男子会でもお話ししてくださったことがあるとのことですが、技術者からみた「ノアの箱舟」についての考察を、冊子としてまとめられ、それをご寄贈いただきました。
 6月号のタイムスでもふれた物理学者の竹内氏もそうですが、宗教・歴史学者にとどまらず、ノアの物語は多くの科学者・技術者の想像力をかきたてるようです。
 客船であれば、乗客に近い数の船員が、接客と航行のために乗船しますが、わずか数名のノア家が、無数の動物たちの世話をしたのですから、餌やりと掃除だけで毎日が過ぎていったことでしょう。書類が山積みとなっていく机を見ながら、そんなことを感じます。

 天使のピアノ
 聖公会関係で、ノアの物語の一節を用いた墓石もあるそうです。
 東京教区の滝野川学園は、日本で最初の知的障がい者のための施設です。その講堂には「天使のピアノ」とよばれるピアノがあり、演奏できるものとしては日本最古のものだそうです。
 そのピアノは、明治初期「鹿鳴館の華」とよばれ、後の滝野川学園の創始者の妻となった石井筆子姉の愛用の品でした。NHKでも紹介され、近年では常磐貴子さんが主演で、映画化もされています。
 石井筆子姉は長崎出身で、彼女が江戸〜明治初期の隠れキリシタン弾圧に幼い心を痛めるシーンから映画は始まります。(余談ですが、彼女の叔父の昇さんは鞍馬天狗のモデルといわれているそうです)
 彼女は日本初の女子海外留学生となり、津田塾をひらいた津田梅子さんは親友で、洗礼の時の名親だそうです。帰国後華族女学校のフランス語教師となりました。大正天皇皇后もその教え子であり、社交界では鹿鳴館の華と呼ばれ、米国大統領だったグラント将軍来日の際には「日本で最も聡明な女性」と呼ばれたそうです。いかにも映画向きするプロフィールです。
 しかし、彼女は後に立教の教員で、障がい児教育を始めた石井亮一兄の感化をうけ、彼女も知的障がい児教育に力を注ぐようになりました。

 鳩、足とめる所なく
 筆子姉の子ども達は、残念なことにみな母親より先に逝去されました。その墓碑には「ハト、足とめるところなく、舟に還る」とあります。
 洪水から水がひかず、まだ地上に住める環境ではないことを表すものですが、これは、「障がいを持つ子どもたちが幸せに暮らしていける環境はまだ充分ではない」という想いが込められているそうです。
 「地は主の慈しみに満ちている」これは、先月巻頭言で用いた詩篇の聖句です。私たちが迎えたこの収穫の秋に、すべての人がこの世の中を、「神様の恵みに満ちた社会だ」と感じることができるような環境へ、日々整えていくことができればと思います。

主は恵みの業と裁きを愛し
地は主の慈しみに満ちている。

詩篇33編5節 


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