わたしにしてくれたことである

司祭 パウロ 上原信幸

 2月の半ばには、いよいよ大斎節を迎えようとしています。教会は復活日を迎える準備、また悔い改めと節制を行う期間として、この大斎節を位置づけてきました。
 40日という日数は、イエス様がそのお働きを始めるにあたって、荒れ野で断食と祈りをもってその期間を過ごされたことに倣っています。
 現在では主日を除く40日間としていますが、今から1500年程前のグレゴリウス1世の時代には、その期間は主日を含めて40日だったといわれます。主日を除いた36日間が丁度一年の十分の一にあたり、「信徒がその収入の十分の一をささげるのと同じように、一年の十分の一という時をささげるようなものだ」とグレゴリウス1世は教えていたそうです。

  節  制

 間もなく世界のあちこちで、カーニバルのニュースを聞くようになると思います。カーニバルというのは、謝肉祭とも呼ばれていますが、大斎に入ると肉などの贅沢品と、しばらくお別れすることになるので、その前にしっかりとおいしいものを頂いておきましょうといった趣旨のお祭りです。
 昔から、その期間の節制は徹底したもので、たとえば、イギリスでは大斎に入る直前、パンケーキパーティを開く習慣があります。
 なぜ、大斎に入る前のごちそうメニューがパンケーキなのかと、不思議に思われるかもしれませんが、もともとは、大斎中は卵やバターを断つため、残っているそれらの贅沢品の始末をかねて、パンケーキつまり薄い英国風ホットケーキを焼いて振る舞いました。
 今日、卵やバター、ミルクが贅沢品であるという考え方は、あまりないと思いますが、永年バター・ミルクすら断つような質素な生活をしながら、さらに困難な状況にある人を覚えて信施を捧げるといった時代があったわけです。
 そして、そのようにして日曜学校の子ども達から、年金生活の方々までが捧げてくださった献金が、海外の伝道のため、つまり150年前の日本での教会や病院、幼稚園や学校の建築のために用いられ、今日の私達の教会活動の礎がすえられていきました。

  行いの実

 以前はたばこをやめるとか、お酒、お茶、といった嗜好品を控えるという方も、多かったのですが、近年長引く不況の影響もあり、毎日が大斎のようなもので、季節感がなくなったという声もしばしば聞きます。
 祈祷書の朝夕の礼拝式文に、「してはならないことをし、しなければならないことをせず」という懺悔の祈りがあります。
 お酒を飲むとか、嗜好品をたしなむということを控えること自体が大斎中の目標ではなく、むしろしなければならないことを、していない生活をふりかえらなくてはならないのです。
 いったい今、自分が何をやめてしまっているかを見つめる機会として大斎を位置づけ、また、神様のお働きに加わるために何をお捧げするのかを考える期間にできればと思います。

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

マタイによる福音書25章40節

2013 the Cathedral Church of St.Michael diocese of kobe nippon sei ko kai