神の民として

司祭 パウロ 上原信幸

 教会暦ではイエス様のご昇天を記念する昇天日から、教会の誕生日ともいうべき聖霊降臨日を迎える季節となりました。ちょうど教会の暦の折り返しを迎えようとする時期です。
 イエス様は最後の晩餐の時、弟子たちのために祈られましたが、この世から去られようとするイエス様が祈られたことは、弟子たちを、この悪い世から引き離してくださいという内容ではありませんでした。
 十字架の上でイエス様は、「事は成就した、成し遂げられた」と言われ、息をひきとられました。イエス様はこの世界でなすべき役割を全て終えられたわけです。
 もし、弟子たちに行うべき役割がこの地上になければ、洗礼と同時かあるいはイエス様のご昇天といっしょに、この世から引き離されたはずです。
 ところが、12弟子の一人として、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダの後任として、マッテヤが選ばれました。使徒としてのこの任務を継がせるためです。
 つまり、この世で弟子たちの果たすべき役割が、まだまだあったということです。そして、それは12弟子達だけで終わるわけではありません。

  宣教の指標

 1998年ランベス会議で出されている宣教の5つの指標の第5番目は、「被造物すべての統合への安全を図り、地球の生命の維持と再生とにつとめる。」というものです。
 私たちの大切な使命は、ただ人間関係だけにとどまらず、神様がお造りになった全ての世界に及びます。それは創世記の初めに次のように記されています。

 神は彼らを祝福して言われた。 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」         創世記1章28節

 支配というのは好き勝手にする権限ではなく、まさに読んで字の如く支え配る使命です。

  支配する使命

 教会という存在が、この世界の全てを創造された神様を信じる人の集まりだからこそ、全ての被造物を守る使命を果たすことができるわけです。
 日本聖公会では、6月5日の「国連世界環境デー」に近い主日で、「地球環境のための祈り」を捧げます。
 私たちは聖餐式の度に、「聖霊を送り、わたしたちを神の民として、主とすべての人に仕えさせてくださいます。」と祈っています。
 洗礼を受けた私たちは、ただ天国行の切符を片手にじっとしていればよいというのではなく、仕えるという使命が与えられているということを礼拝の度ごとに再確認しているのです。
 間もなく礼拝で用いる祭色は緑の季節を迎えます。その期間は11月末までで、丁度野の草木が成長し、収穫の季節が終わるまでの期間と重なります。
 これからの日々、野の緑と共に私たちも成長し、神様が私たちに委ねられたこの世界で、神と人とを喜ばす豊かな実りをもたらすことができるように、導きを祈りましょう。


2013 the Cathedral Church of St.Michael diocese of kobe nippon sei ko kai